【列車】時代を風靡した皇帝とのお別れ(セマウル車両の引退)
2018/06/09
球形セマウル号客車が運行を終了した. その最後の日を追った。
去る 4月 30日夜 11時 10分頃、ソウル龍山駅プラットホームにセマウル号 1160列車がゆっくりと進入した。漢江を渡った直後から速度を下げ、物静かな動きですべるようにホームに進入すると. プラットホームでは幾多のカメラが到着した列車にむけてフラッシュをたいていた。300人はゆうにありそうな人波が球形セマウル号客車の最後の運行を見届けに来たのである。アコンを装着した超特急列車
この日運転された2本の列車で球形セマウル号客車が長項線で運行を終了し、歴史の表舞台から消えた。最終運行となったのは午後 5時 30分、龍山発益山行き1159列車と午後 7時 25分益山発龍山行 1160列車だ。益山行 1159列車に乗り、1160列車で帰って来る事にした。
古い車両にときめく心で乗り席に座った. 特室ではなくても余裕のある座席. これがセマウル号の長所だっただろう。古くなった車内の隅々さえ惜しく思う。ノイズ一杯な車内放送が雰囲気が盛り上がる。「この列車はセマウル号列車です. 列車は間もなく出発します。お持ちの乗車券をご確認ください。ありがとうございました。」トランジスターラジオから流れるような音声が情があふれる. 記憶の中にでも残っている録音放送だ. 久しぶりに出会った放送を聞くのもこれが最後である。終わりを迎えるとすべての瞬間が惜しい。 窓の外を見て列車とともにした幼年時代の思い出しているうちに列車が徐々に動き始めた。
セマウル号の歴史は 1969年にさかのぼる。今から 49年前, 当時観光号という名前でセンセーショナルに登場した。この列車は特別だった。扇風機も大事な時代にエアコンを設置したし, トイレには洋式便器を置いた。ソウループサン間は大田、 大邱のみに停車し。ソウルー釜山の所要時間は4時間 45分. 韓国初の一日生活圏形成は観光号によってなされたのである。当時、特1等席の価格が 4700ウォンだったという記録がある. 今で計算すれば 40万ウォン相当だ. 誰でも乗ることができる列車ではなかった。
もちろん観光号以前に特急列車がなかったのではない. 日本の占領期間にも京釜線にあかつきという特急列車があったし, 解放以後には解放号, 再建号, 躍進号という列車があった。1955~1960年に運行した京釜線特急列車の名前は統一号とムグンファ号だった。 区間別で京釜線には猛虎号, 湖南線には白馬号のようにそれぞれ違う名前が付いた時代だ。その後を引き継いで登場した観光号は特急列車で分類されていた。
1974年は韓国鉄道では非常に重要な年だ。首都圏最初の電車が開通し、全国でセマウル(新しい村)運動が盛んだったため特急列車である観光号にセマウルという新しい名前が付いた。列車の仕分けもセマウル号, 無窮花号, 統一号, はと号の等級体系に変わった。列車に変わったことではないが, 観光号代わりにセマウル号という名前はこの時から高級列車の新しい象徴と同時に韓国列車の頂点になった。
益山向かう長項線は単線運転のため下り1159列車と上り1160 列車は熊川駅で交換する。球形セマウル号客車も列車交換は今日で終わりだ。その瞬間も見たいところではあったが、あきらめる事にした. 一つ手前の大川駅で降りて上りで乗り換えると龍山駅で球形セマウル号の引退を目撃することができるからである。同じ考えをする人が多いのか、大川駅のプラットホームに多くの人が降り立った。10分頃経っただろうか、遠くに1160列車の明りが見え始めた. 今日の退役するセマウル号は私たち記憶に残っている滑らかな流線型ではない。多くの人がこれが “これがセマウル号か?”と思ったハズだ。セマウルという名前は外形ではなく客車の構成とサービス水準で決まるのである。
セマウル号は今まで何回かのモデルチェンジを経験した。セマウル号の前身は観光号という名前の豪華列車だった. セマウル(新しい村)という新しい名前を受けたのは 1974年だ。以後セマウル号は当代最高のサービスを集約した特急列車のステイタスを持ち、いつも羨望の対象だった. 2007年には朝鮮戦争以後初めて東海線で試験運行も行って来た. 球形セマウル号客車が最後の運行を終わらせる日、龍山駅では 300人の越える人が殺到した中に質素な引退式が行われた。
戦争以後最初で北朝鮮を行って来た列車
1980年代中盤にセマウル号は方向転換の必要のないPP(pushpull) 動車が登場した。以前には列車が目的地に到着すると機関車の付け替えを行わなけばならなかったが、その津陽がなくなったため作業が楽になった。
新システムに最高のサービスまで取り揃えたセマウル号は 1988年ソウルオリンピック前後から 2004年 KTX開通まで最高の全盛期を享受した。この時代にはプラザホテルが食堂車を運営しながらホテル水準の食事が可能だった.その頃食堂車のハンバーグステーキはセマウル号の象徴となった。目的地に到着すれば乗務員が起こしてくれるサービスもあったし、座席の肱掛けにはオーディオサービスがあった。衛星放送で TVも見られた。羨望の対象だったが, 高い価格のため庶民は易しく利用しにくい列車だった. セマウル号には「列車の皇帝」のようなイメージが付くようになった。大統領専用列車慶福号もしばらくセマウル号だった. キム・デジュン大統領時代の 1999年,セマウル号にかなりの攻撃を防御することができる防弾機能と電波邪魔装置などを加えて特別動車で改造したが, この列車はブッシュアメリカ大統領訪韓当時京義線復元事業を進行した都羅山を訪問したりした. これとは別個で 2007年 5月南北の列車が京義線と東海線を試験運行した時セマウル号は朝鮮戦争以後最初に北朝鮮側に行って来る歴史を残した.
そんなセマウル号の栄華も永遠ではなかった。 2004年 KTX 開通とともに数十年間享受した最高の地位を譲るようになった。PP動車のセマウル号も客車だけ残して 2013年を最後にレール上から去らなければならなかった。それでも既存客車に機関車をつけて長項線主として運行を続いて来たが、4月 30日の運行をもって歴史の表舞台から退いた. セマウル号が超特急列車と呼ばれた列車の歴史が終了したのである。
しかし、セマウル号自体が消えるわけではない。私たちが特急列車で記憶している球形セマウル号が引退しただけである。一部で今回をセマウル号の 「終運」(最終運転)と表現しているが、そうではない。退いた球形セマウル号の後は新しいセマウル号が引き継ぐ. 2014年に登場した ITX-セマウルが全国を走るようになり、長項線にも新しい客車をセマウル号という名前で投入した。それでも特急列車で私たちに多くの思い出を抱かれた球形客車の退場が名残惜しいのは仕方ない事だ。
Nrail, Rail+, SMB みたいな国内最大規模の鉄道コミュニティが連合して球形セマウル号客車の引退式を用意した.4月 30日午後 7時 25分益山駅を出発した 1160 セマウル号が龍山駅に到着すると数百人の人たちが「皇帝」の退役を記念した。機関士に花束を伝えられ, 最後の列車に乗った乗客がお別れあいさつの言葉を書いた文章をしたためた。引退行事を最後に球形セマウル号客車は龍山駅プラットホームを永遠に去った. その後姿は決してみすぼらしくなかった。王座を譲って去る皇帝のように最後の一足跡までゆっくりした歩みで威風堂々に私たちの鉄道歴史の中から去っていった。
【コレイルブログ】